ハイチの小箱2010/08/08 00:44

  ハイチのお土産品になっているラッカーなどで彩色された箱です。 水色の地に花の模様の箱は最初の滞在の時に買った第1号です。地震で倒壊したエピスコパル教会の庭で買ったように思います。黒の地に緑色の葉っぱの模様の箱は何度目かの滞在の際に買ったものです。友人や家族へのお土産としてたくさん買いましたが今はこれら二つしか手元に残っていません。前者はお土産品としてまだ作られ始めたばかりのもののためでしょうか、事務用の箱に彩色したもので内部の仕上げもされていない素朴なものですが、筆致や彩色に勢いがあり最も好きなものです。黒地の箱は絵柄が洗練されていて渋い味わいがあって日本人好みです。残念ながら大事にしていなかったので少々痛んでいます。プリミティブ絵画と同様に外国人の指導の手が入ってと思いますが、ハイチ人の感性の良い側面が引き出された土産品だと思います。

余滴(2):ヴォドゥの死者儀礼2010/01/27 22:58

ヴォドゥの聖母子像
  先に述べたように、ヴォドゥは、一つの宗教集団ではなく、個々の宗教的指導者が主催する小規模なグループによる宗教的実践であるから、その教義も儀礼も個々のグループによって異なっている。   ヴォドゥ研究の古典的著作『ハイチのヴォドゥ』のなかでA・メトロ-も、同様の指摘をしたうえで、自分が聞き書きしたヴォドゥの死者儀礼についての概要を書き残している(英訳pp.243-265).。   ヴォドゥ教徒(必ずしも教徒でなくとも)が死ぬとまず行われるのが、亡くなった信者が長い修行の末につくりあげた「神的な霊」(loa)とj身体の間の絆を、ヴォドゥの聖職者であるウンガン(hungan)が切り離す「デスーナン」(déssunin)と呼ばれる儀礼である。その後ウンガンは、死者の体の一部を小さな壺に納めるが、これは死者自身の霊魂を意味する。続いて遺体は、芳香性の薬草の煎じ液で洗浄され、鼻や耳の穴に綿を詰めるなどして、死者の尊厳を損なわないようきれいに整えられる。そうした状態で死者は友人や親族とお別れをするのである。  通夜は、アフリカの伝統で、あたかもパーティのように賑やかに、歌いかつ飲み、悪口も称賛も含め死者を悼むおしゃべりをし、そしてあらゆる種類のゲームをして過ごす。埋葬の列は夜明け前に出発し、墓地に向かう道中、埋葬の儀礼の取り仕切り役である「ペール・サヴァンウヌ」の家に立ち寄る。埋葬はほぼカトリックの儀礼に則って行われる。  本来ならば、こうした手順で手厚く埋葬されるべき遺体の尊厳が、非常時とはいえ、蔑ろにされることは、誰にとっての悲しむべきことであろう。

余滴(1):地震と宗教2010/01/26 22:54

荒井コレクションより(1):ハイチの母子像
 インターネット上のハイチ大地震に関する膨大な数のニュースのなかに「ハイチのブードゥー司祭、死者への敬意を要求する」というロイター電の記事があった(Taranaki Daily News  2010/01/28)。Max Beauvoirというヴォドゥの聖職者が、5万人に上る地震の被害者の遺体をまとめて集合墓地に埋葬したことについてプレヴァル大統領に抗議をしたというニュースである。  Max Beauvoir氏は、今回の地震の震源地に近いMarianiに1974年、ヴォドゥの集会所Péristyle de Marianiを創設、1996年にはハイチ人移民が増加しているアメリカ合衆国支部としてThe Temple of Yehwe を設立、2005年には「ハイチ・ヴォドゥ教徒全国連合」(Fédération Nationale des Vodouisants Haïtiens)を組織している、野心的なヴォドゥのリーダーの一人である。1986年にデュバリエ独裁体制が崩壊した直後、ヴォドゥを支持したデュバリエに対する反動としてヴォドゥ教徒に対する暴力や集会場の焼き打ちなどヴォドゥに対する激しい弾圧が行われた。現在ではヴォドゥは憲法において一つの宗教として認められ、いくつかのヴォドゥ再建運動が現れた。その代表がZantrayであるが、Max Beauvoirが主催する組織もそうしたもののうちの一つにすぎない。ヴォドゥは、アメリカ大陸の他地域のアフロアメリカン宗教と同様に、一つの宗教集団ではなく、個々の宗教的指導者が主催する小規模なグループの総称である。それゆえMax Beauvoirの政治的立場については筆者はまだ確定的な評価をもっていないが、地震の犠牲者たちの鎮魂という意味で、その意見には傾聴すべきところがあると思う。