ポルトープランスからレシフェへ ― 2014/03/08 21:00
4年以上不在でした。再開したいと思います。ポルトープランスは横浜に生まれ育った自分にとって再生の場所でした。しかしそこから出発して目指したのブラジル北東部のレシフェでした。ほど四半世紀のあいだ、毎年夏休みになるとそれ以外の時間では抑えられていた自分を解き放っていたのだと思います。ところがここ数年はそのことさえ忘れていました。これから始まる4年間に向けてかつての心を甦らせようと思います。さてどうなるやら。
Jean-Claude Castera、カステラさんのこと ― 2010/08/31 22:11
カステラさんは、ペンションの女主人の知り合いで偶然に知り合った友人で、第一印象は「危ない人」であった。実際にそうであったかもしれない。職業は画家で、少なくとも私とも交際に局面では危険なところはなかった。母親の家(ジンジャーブレッド建築)、彼が絵を教えているブルジョワのオバサマたち、美しい従姉妹たち、瀟洒なレストランでの画家、デザイナー、文筆家たち、プライベートビーチ付きの別荘など、(代理大使であった辻野夫妻とともに)ハイチの上流社会を観察する機会を与えてくれた人である。しかし画家としては比較的早く注目されたにもかかわらず成功しなかったと思われる。Wikipediaにも次のような記述しかない。
Jean-Claude Castera (born 1939) is a Haitian painter. Born in Pétionville, a wealthy suburb of Port-au-Prince, Castera was educated in San Juan, Puerto Rico. He typically paints abstract scenes and women.
浪費家であったらしいが、知り合った当時すでに経済的に苦労していた様子だった。そのためか帰国までの短い交際期間に、自分の持っていたものの中からいろいろなものをくれようとした。調査に行っても本以外は必要なものしか持って帰らない習癖で、ハイチからも先述の絵画と彫像、それぞれ1点、小箱、ヴォドゥの旗、数枚しか自分は持って帰らなかったが、カステラさんからもらったものは数点ある。次回からそのうちの2点ばかりを紹介したい。今回は若き日(少年時代?)のカステラさんの写真を載せる。
ポルトープランスの思い出(3):新旧カテドラル ― 2010/01/25 23:24
これまで述べてきたように、ハイチ、ポルトープランスのでの生活は退屈する暇など全くない毎日の連続であった。細かなエピソードについてはおいおいと語っていきたいが、大地震と関連した話題に戻ろう。
地震のニュースとして送られてくる映像の中で大きな衝撃を受けた映像の一つに、前面だけを残して後はすっかり倒壊したカテドラルの写真があった。というのはポルト^プランスの大聖堂の悲劇は、ここ30年の間において2度目のことなのである。掲載した写真は、上述のハイチのInstitut Francaisが1946年から刊行している"Conjoction"という雑誌の特集号(Nos.188-189. Special:Ancienne Cathedrale de Port-au-Prince ISPAN / ICOMOS-Haiti)からの借用であるが、新旧カテドラルが仲良く一つの写真に収まっている。この特集号はもともと旧カテドラルの修復のために世界の建築遺産の保護を目的とする国際機関であるICOMOSのハイチ国内委員会が行った調査報告書を兼ねていた。ところがこの特集号が印刷中の1991年1月7日、何者かの放った火によって灰燼に化してしまったのである。そして2010年の1月12日、ハイチ人は新カテドラルもまた失ってしまったのである。
ポルトープランスの思い出(2):Pension La Gaite ― 2010/01/25 22:31
Pension La Gaite は Champs de Mars に接する Rue Capois に面して立つ Hotel Le Plaza の横を入った Avenue Ducoste No.5 にある下宿屋兼安宿で、1階は年金生活の年寄り、が数人、2階は大家の家族と2人のOL、小学校教員、家族と離れてフランスの大学への学位論文を執筆中の内務省の役人、彼らすべて肌の黒いハイチ人で、それにフランス人ビジネスマン、さらに日本人が加わったのであった。
Champs de Mars は今回の地震で倒壊した大統領府にも接する大きな公園で、かき氷やピスタシュ・砂糖黍売りの商人が常駐し、子供ばかりでなくドミノなどに打ち興ずる大人たちにとっても憩いの場であり、特に日曜日には、公園の中心にある野外音楽堂でいろいろなジャンルの音楽が演奏され、教会帰りのドレスアップした姿でのそぞろ歩きの人々でいっそうの賑わいを示していた。
Rue Capois のChamps de Mars に接する もっとも新しい映画館 Triomphe、Hotel Le Plaza 、イスパノ・アメリカ文化センター、 Rex 劇場、Park Hotel,、フランス大使館、ハイチ美術館のほか、レストラン、薬局、お洒落なドラッグストアなどが立ち並び、商業地区ではないが都心に近い集客地区であった。 ハイチ滞在の主目的であった民族学部の建物も Champs de Mars の反対側にあったし、Rex劇場では当時スターだったLanguichatteの軽演劇や映画『マルチニックの少年』を観たり、アメリカ合衆国によるJ.S.Alexezに関する講演で質問するハイチ人著作家 Roger gaillard の姿を見たのもイスパノ・アメリカ文化センターだった。
ポルトープランスの思い出(1) ― 2010/01/25 21:25
ポルトープランスで最初に宿泊したのは海岸に近いHotel Beau Rivage である。到着したのは午後の3時ごろ、とりあえずシャワーを浴びて仮眠をとったつもりであった。ところが長旅の疲れのために、町で遊んだ帰ってきた観光客の嬌声で目が覚めたとき、すでに真夜中を過ぎていた。夕食を食べそびれたなと思いつつ再び眠りに落ち、気がついたときは朝の7時であった。前日は金曜日で夕食はクレオール料理のビュッフェだったのに。
それから月曜日までの間の出来事はどのような順番で起きたか、よく覚えていない。二つの流れの出来事の前後関係がはっきりしないのである。月曜日にはそれから1年弱の宿となるAvenue Ducoste No,5の Pension La Gaiteで昼御飯を食べているのであるが、ここは紹介状をもって訪ねたTOYOTAのハイチ代理店社長が選んでくれた宿であった。日曜を挟んでいたので土曜日に訪ねて月曜日に案内してもらったのか、それとも土曜日に訪ね、日曜日に別の人がホテルに迎えに来て、その晩にはもうPensionに落ち着いていたのか記憶が確かでないである。おそらく後者であろう。というのは宿探しの間に、ハイチのInstitut Francaisの図書室を訪ね、そこで教わったLibraire Caravele と Libraire Henri Deschamp で何冊かの本と地図・クレオール語の教科書を買っているのだ。後者は本屋というより教科書や公的文書を刊行している出版社である。前者は小さな本屋でありながら良質な書店で、そのうちの何割かは現在再版されているが、長い間絶版となっているハイチ人著者による古典的著作を入手することができた。
ポルトープランスの思い出::はじめに ― 2010/01/24 23:09
1月12日に起きたハイチ大地震は莫大な数の犠牲者と首都ポルトープランスに壊滅的な被害をもたらした。発生から10日経って各国からの支援が続いている。しかしハイチ再建の道は長く苦難に満ちた道であることは確かである。今回の災害が、地震以前から模索してきたハイチ再生の道を一気に推進する千載一遇の機会であるという意見もある。この意見はそれなりに真実であり、そうあってほしいという希望を表している。しかし今回の厄難がさらなる苦難の始まりでないという保証はない。
そこで私自身はこの機会に次のような決意を宣言する。一つはハイチ人の長く苦難に満ちた再建の道に対して、微力ながら実践的支援をすること。もう一つはこの地震でもしかしたら永遠に失われてしまうかも知れないもの、特にポルトープランスについての思い出と考察について語ることである。このブログでは後者について主に語ることになるであろう。それはハイチ人が新たに創造する再生の道が彼らのアイデンティティに深く根ざすものであることを願ってのことである。
ハイチについては貧困とインパクトの強い宗教によってのみ語られることが多かった。私はこうした傾向に多少抵抗して、できるだけ彼らの美、夢、切望そして時にはスノビズムにも言及するよう努めてきた。今回の災害に直面して、彼らのそうした側面について語ることの必要性をますます感じることとなった。
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